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2010年2月11日 (木)

こどものしぐさ。

ちょっとずつ、本当に微々としたものですが部屋の片づけをしています。
傍から見れば生ぬるいことこの上ないでしょうが、そんなことはもうどうでもよく、微々でも何でもモノを動かしていることに意味があると、小理屈と言うか言い訳をしながら、山と積み上がったモノの中からサルベージと可処分に振り分けをしているわけです。
私を知るひとならお察しのとおり、圧倒的にその中間のものが多いのは推して知るべし。

「紙」や「布」が好き。
…「素材」が好きと言えば良いのかな。
ひとつの何かから、何か別のものを考える。
クラフトワークを仕事にでもしていれば役立つ思考なのですが、如何せん、しがない勤め人で、余暇すら時間の有効活用ができずにダラダラ眼の前のお手軽なモノ(まぁネット上にあるあれこれw)に目を奪われてたりするので、まったくもって創造的な作業なんてできる状態じゃぁないんですけど。

とは言え気持ちはクリエイター。…気取り。
そんなわけで、相変わらず捨てられないものを積み直してばかりいるのです。

有効期限の過ぎたカタログ等をまとめていて、どうにも処分を保留してしまうモノがあります。
たいていは絵を描くときの資料と目の保養、アイディアのヒントになるものです。
…実際に役立てるかは置いといて。
その中で、ちょっと他と違う視点で残してしまうものがあります。
通販・フェリシモの子供服のカタログ。
多分、カメラマンの力量だと思うのですが、子供の表情やポーズがとても良いのです。
当然演出はされているものの、モデルの子供の、誇らしげだったり恥じらいだったり、信頼だったり警戒心だったり、そんなものがそこに映し出されていて。

子供を描いて素晴らしい画家は何人もいます。
また、絵だけでなく言葉で描く作家もたくさんいます。
実のところ、私は一般的な「子供」と言う生き物は嫌いなんですけどね。
なんでだろう、子供を中心に据えたものは心を捉えて離さないものが多い。それでかつては児童文学に傾倒していたものです。(童話作家になるとか言ってたw)
自分の中にある大人になれない部分を擁護するわけではないけれど、捨てたくない子供の自分を映す鏡なのかも知れない。

先週、映画「かいじゅうたちのいるところ」を観てきました。
原作の絵本は世界的に子供からの支持を得ているベストセラーですが、なかなか読む機会がなく、未読のまま臨みました。
主人公MAXは、8歳にしては幼い少年。その孤独感と動物的な粗暴さを同じ名前の少年が余すところなく演じていて、子供の心象世界の体現である「かいじゅう(WildThing)」の孤独感に胸を締め付けられるような哀しみを感じてしまいました。
多分、自分の中の子供は、そんな孤独感にがんじがらめになっているのだろう、それが日ごろの抑うつ感の原因なのかも…と思えてきます。自分の心理分析して意味があるのかどーかw
ともあれ、もしかすると「子供嫌い」は自分の中の「子供」が「あいつ嫌いだ」って言ってるのかな、なんてこの期に及んで気付いたような。
そして自分を投影できるような、好ましく表現された子供の仕草に、自分の中の「子供」が惹かれているような、そんな気がしています。

とは言え、少しでも部屋のものは減らさないと、なのです…よっと。

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