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2009年1月24日 (土)

もう一つの「再構築」。

1/20から始まった「コラージュ 切断と再構築による創造」と言う企画展を観に竹橋の国立近代美術館に行ってきました。(期間限定とは思いますが企画展URLはこちら

金曜日は夜間開館があるので、ちょっと何か観に行こうと思っていたら、なぜかどこの美術館・博物館とも企画の狭間で観ようかなと思っていのも殆ど終わっていました。で、上記の企画を見つけたのですが、企画展と言っても新聞社等との共催で行われる大々的なものではなく、収蔵品のピックアップ展。企画者である学芸員さんの解説つきと言うこともあって、早めに出掛けました。
まずは予備知識なしで作品を主観的に観るために、解説を聞く前に一通り…とは言えやはり解説板は読んじゃいましたがw
時間になって学芸員さんの解説により作品を再鑑賞します。
しかし筋肉のない私はずっと立っていたら腰が痛くて会場内のソファに座ってしまったところ…話を聞きつつも4分の1ほど寝てました。最近どうも眠くていけません。そう言えば以前国立博物館の講演会行った時も寝ちゃったんだった。つくづくダメなヤツです。
とは言え、何とか聴く努力だけはしていたので、ただ漫然と鑑賞するのとはやはり違います。何と言っても企画を立てた専門家の方の話ですから、体系的な知識を得られます。美術は主観あってこそ、と思ってはいますが、上っ面でなく理解を深めるにはやはり専門家の眼が助けになります。…ただし、まず自分の主観こそが大事だと思うので、先に一回りした次第ではあります。

この展覧会のテーマは「コラージュ」です。
副題「切断と再構築による創造」の通り、ゼロからの創造ではありません。
既存の存在=意味を一度分解し、違う存在=意味を新たに創る。
切り離され無意味化したモノに新しい命を与える作業。
いまや誰もが無意識にやっている「カット・アンド・ペースト」。
しかしクリエイターというものはそこに「何か」を付加するのです。
詩のレトリックのように、元の存在と新たに構成された存在のギャップ。
しかし元の存在は元素のように確かに痕跡を残し、それが生まれ変わったモノに深みを与える、それがコラージュ=「再構築」という行為のもつ意義なのでしょう。

さて、「再構築」と言うことで。
前回の記事で書いた「リストラクション」ですが、ここでは「リコンストラクション」です。どう違うのかって言うと…そもそも「リストラクション」って日本語的な使い方っぽい。「構造struct」「構成structure」「建築construct+ion」にそれぞれ「再re」が付いた言葉でニュアンスが違う程度のようです。コラージュのようなものはつくり上げる感じでコンストラクション(再構築)なのかな。

今回のコラージュという手法を改めて意識してみると、これまで自分自身で興味を持ってきたクリエイティブなもの、例えばペーパークラフト(スクラップブッキング含む)やパッチワークなどは正にコラージュ的な手法による手工芸なのですね。視点を広げると「編集」なんていうのも似ている気がしてきます。
そこで、はた、と気が付いたのが、実は自分のやりたいことってこれなのかも、と言うことだったんです。実はゼロから生みだすのは得意ではない。つまり本来の意味での「クリエイター(創造者)」にはなれない、という意識がずっとありました。
無から生みだす力は自分には無い、と言う才能の限界、努力を惜しむ怠け者なのでは、という自責の念を持ちながらも、むしろそれは自分の目指すところではない気持ち。
何だかそれがちょっと見えてきた気がするのです。

いろいろなモノが好きで、愛すべき欠片をたくさん集め…物理的にも精神的にも。それをつなぎ合わせて新しいモノをつくりあげる。そんな創作こそが自分の目指すところかもしれない。

まだまだカタチになるのは程遠いのですが、ね。
ちょこっと展望が出てきたクリエイター(創作者)としての私なのでした。

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