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2006年9月 8日 (金)

「おたく」論・考~サブカルマニアの行く末

「おたく」と言う言葉が世間的に広まったのは「幼女連続殺人」のMの日常がニュースとして取り上げられた頃だったでしょうか。アニメビデオや漫画雑誌が積み上がった室内の映像に見慣れたものを感じた人もいことたでしょう。(私もその一人でした。)
当時はまだ「おたく」は負のイメージが強く、「世間」という「常識を強要する」社会に迎合できず、折り合えず、ひたすら自らの趣味に固執し他の意見を聞かず己の主張のみを論ずる。生身の人間、特に女性と接触することを畏れ二次元の少女と妄想的脳内恋愛をする引き籠もる青年。有り余る若いエネルギーをそういった「モノ」に耽ることで発散し(しかも発散しきれず)、他者との関わりを避けることで衛生感覚にも無頓着。他者と相対することが出来ないため、目の前の人に向かって2人称で語りかけられず「おたくね、」と言う…。
…そんな他者排除・1人称世界な人々に対する一種差別、というより侮蔑された言葉だったと思います。

80年代、TVアニメを観て育った世代が大人になり、サブカルチャーを語ることがステイタスにもなり、「子供文化」を真面目に語ることがマニアの楽しみでもありました。それは趣味として、他の文化同様に発展し、すでに「カウンターカルチャー」でもなくなったかとも思われます。
バブルや「失われた10年」を経て、次第に子供向けジャンルが一般化して大人向けに提供されるようになり同時に大きな市場として形成されて行く課程でいつか「おたく」と言う言葉が「そういったモノ」に熱中する人をひとくくりにする便利な言葉として祭り上げられるようになりました。
そこから先はご存じのように、「おたく的なモノ」は経済国家ニッポンの先兵として今や「稼げる文化」の位置づけをされつつあります。かつて負の呼称であった「おたく」はすっかり市民権を得、自称することが自虐ではない時代となりました。

が。21世紀となった現在、かつて「おたく」以前の「おたく的サブカルチャー」のムーブメントを形成してきた者(「おたく」の地位の向上者でもあったと思います)たちから疑問が生まれつつあります。

何かが違う、と。

我々が楽しみ、生きる糧としてきた文化はこんなに「只消費されるだけのもの」だったんだろうか。ある人はコミケの現状を嘆き、アキバの変質を嘆きます。我々が歳をとっただけ、現状について行けなくなっただけとは思いたくない。
かつて上流階級の無産者のみに許されたディレッタント的な趣味の世界が誰にでも享受できる時代になり、新たな無産階級をも産み出している昨今、このムーブメントを産み出した先人を追いかけ自らもその世界に飛び込み世界を構築してきた人々が後ろを振り返ったとき、後に続くべき人々が育っていない、消費者ばかりになっている。育ててきた文化が「使い捨て」されていく様を目の当たりに見て危惧を感じている、それが違和感の正体ではないか、そう思う今日この頃。

このままでは我々の糧でもあるこの「文化」が消費されつくして失われてしまうのではないか。何か手だてはないのだろうか。
多分、何かできるとしたら、私たち「それを消費するだけでなく糧として次を産み出そうとしてきた」世代なのかもしれません。

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コメント

くそぅ、先を越された。

 オラの持論は岡ちゃんの「オタク・イズ・デッド」読んで整理してから。なんてったって「オタク」を造語した男が、ついには「オタクは死んだ!」と号泣(したウワサだけが妙に広まる
)。

なんか「カリント」みたいな記事を書くかもしれませんがその時は問答無用でTBしまっせ姐さん。なんちて。
(* ̄▽ ̄*)ノ"

投稿: ぽこすけゴン師匠蛇 | 2006年9月 9日 (土) 00時04分

いつもどうもw

ええ、この話の発端は、やはり「オタク・イズ・デッド」から派生したみくし日記でのやりとりからです。
とは言え私は未読なんですけど。(左側のリンクに岡田氏のブログありwそこからのリンクですぐ購入もできるんですけどねー。)

こーゆーネタは語り始めたら止まりませんねぇ。
例えば「僕らは先人が作った獣道を広げ、舗装し、あまつさえ『道の駅』まで作ってしまった。それが間違いだったのだろうか」とかね。
みくし内で限定コミュ作ろうかって話もあるんですが…今は「誰が猫に鈴をつけるのか」ってところです。

あ、TBお待ちしてますよー♪

投稿: まりりん | 2006年9月11日 (月) 19時23分

いつも読みにいってるゲームデザイナー朱鷺田さんのブログにこんな記事が書かれていました。
http://suzakugames.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_239e.html
↑この記事の真ん中へんです。
「オタク人口は実は増えていない」ということで。
わたしらの世代は、みんなおんなじような危惧を持ってるようで。
「オタク・イズ・デッド」で一気に噴出したというところでしょうか。
…やっぱ買って読むかな。

投稿: まりりん | 2006年9月15日 (金) 19時49分

 うわぁ、正鵠を射ていますね~。>朱鷺田先生

 息子の影響でポケモンに手をつけて色々なサイトを見たのですが、彼らにはどうももう一つ一体感が無い。些細な事で罵り合う、見下しあい排他的。
 これはやはり「飢餓感の欠如から来る余裕」、即ち彼ら自身全体は「結束しなくてもやっていける」感があるからなのかなとふと思ったりします。

 話は逸れますがTYPE-MOONの二次創作辺りで最近のヲタ→エロへのベクトルが何となく見えてきた気がします。
 朱鷺田先生の「やおいの仕組み」って講義にも猛烈にそそらされますが。

 「オタク・イズ・デッド」は是非!d(^-^)ネ!

投稿: ぽこすけゴン師匠蛇 | 2006年9月26日 (火) 20時54分

そーなんですよー。朱鷺田さんの講義、聴いてみたいですよねー。
卒後モノになるかどーかはさておき、今の若いひとはこんな授業を受けられるんです。…そんなのが間違ってるのかもしれませんが。「教えられるモノ」になっちゃってるところがね。
でも新しい知識は生まれては消えていくものなので、「かつてこういうムーブメントがあった」というのは、やっぱり誰かが伝えていかなくっちゃなので、そんなのがジレンマです。
同じネタがわからない(ジェネレーションギャップ)というよりも、なにか別の物があるのですが、どうにも言語化するのが難しい。

「排他的」というのは今の若者全般にあって、もともと日本人が持っている負の国民性に戦後の個人主義が合わさったものと理解しています。ひいては今問題になっている「カウンセラーでは治せないメンタルな症状=過保護な自我・特別な自分という存在意義に対する自信喪失」とかに結びつきそうで。
(つまりは「ツンデレ」って結構危ういってか)

「オタク~」は普通の書籍として販売される動きもあるようですねw(岡田さんのブログ情報)少し安くなるのかな?

投稿: まりりん | 2006年9月27日 (水) 19時14分

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